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詩集リリースにまつわるあれやこれや

詩集の上梓から二週間余り。我が昂りに少々驚いているところである。いや実は、その前から。そもそもの始まりは月映@ステーションギャラリーの衝撃であった。月映は、田中恭吉、恩地孝四郎、藤森静雄の三人からなる版画を中心とした作品集である。それ以外にも彼らの、更には彼らと交わりのあった人たちの作品が展示されていた。

田中恭吉、恩地孝四郎は、萩原朔太郎のエポックメイキングな詩集「月に吠える」の装丁、挿画で知られ、私もそこから興味を持って展示を観にいったのである。評判も高く、期待して行ったにも関わらず、その期待を超える熱量がそこには在った。シンプルな線、形状、構図、少ない色でありながら、これしかないと思える確信的な色。ちいさな紙の限られた平面に一本の線が引かれただけで地平線が生まれ、世界が現出する魔法が展開されていたのである。そこには物理的な存在だけでなく、人間の哀しみや苦悩が紙面いっぱいに書き込まれていた。

それからというもの興奮は収まらず、自らの詩集はいつにしようとのんびり構えていたのが一変、自分も作るのだという勢いは加速するばかり。ついには一週間ほどだろうか、使える時間の全てをここに注ぎ込み、完成させたのが花咲風太郎詩集『裏庭に咲く花』である。

掲載した作品自体は2013年1月から2014年8月までに作ったものから選び、挿絵は全て描き下ろしである。

全体に大正から昭和初期の詩集を想起するようなデザインを凝らし、とはいえレトロ趣味に終わらぬよう表紙はあえてPOPにしてみた。月映のようなクールな挿画を描きたかった。しかし、描いても描いても、月映のようには描けなかった。私自身が描くのはどう転んでも私の描く絵なのだと開き直り描いた。そんなわけでいわゆるかわいい絵が多いのではないだろうか。それはそれで暗い詩を明るく補完する効果があったと思っている。詩を読みなれない人にも、絵本を読むように読んでもらえたらと思う次第である。

昂る気持ちはいまも続いている。であるゆえ、とりとめのない文章であるだけでなく、言いたいことの半分も言えていない暗澹たる気持ちである。が、つらつらと書いていても残り半分を引っ張り出すことはできそうもないので、やむなく今夜は押し黙ることとする。